2023振り返り

 

寒くなるかと思いきや、今年も暖冬?な年末。

新体制になったり新しいメンバーが入ったり。3年間見てもらっていた元上司はそんなことってある?みたいな流れで異動し、他のレジェンド達も転職したり異動したり。結果、8月からは部下が15人というカオスっぷり。

なんとかやってこれたのは現上司の腕力と温かさ、そして楽観的でなんだかんだ器用な自分の素質かなぁと。それでもどうしても悩んでしまい、ダメ元で転職活動してみたり。その間も、上司は私の気持ちに寄り添って、人を紹介してくれたり、選択肢を模索したりしてくれた。感謝しかない。そんな人を置いていくことが果たして正しいことなのかがわからなくて、最後まで、今でもまだ悩んでいる。

でも、行くんだろうな私は。ピアニストになる道もある、音大に行く道もある、指定校推薦で早稲田慶應に行く道もある。そう言われながら、美大に行きます。と揺るがなかった10代の自分。今、またそんな感じなのかもしれない。

 

私がいたら戻って来れるかもしれないと思ってたのにと吐露し、次の候補を聞いて、らしいですね、と言ってくれた同僚とは一生仲間でいたいと思った。この3-4年でここまで信頼関係を築けたことが嬉しい。多分、お互いが相乗効果的に成長した期間だったと思う。彼のおかげで私は昇進し、なのに上げてあげられなかったことには申し訳なさしかないけども、次の環境で倍速・倍額で昇進していけるはず。もし万が一壁にぶつかることがあれば、全力でサポートしたい。いらんかもだけど。

 

スキル的な実力をどこまで把握しているかはわからないながら、とにかく姿勢を買ってくれている本社に行った元上司。尊敬できて、頼れて、刺激をくれる。そして何時間でも喋れる。この人と出会えて、仲良くしてもらえていることもまた、奇跡みたいな嬉しいことで。ずっと応援してもらえるのなら、がんばれる気がする。

 

っちかが先に死ぬまで、お友達で。

一生離さんぜよ。

行って無理だったらうちに来てくれたら良いから。

尊敬する大好きな人たちにそう言ってもらえる私は本当に幸せだ。

 

今年はようやくコロナから解放されて、夏は8年ぶりの五島へ。その他、桜を見に京都、念願のNIPPONIA小菅、上司宅へお呼ばれで逗子に枚方、シャー女で金沢、堺でBBQ、奈良へ行ったり、ついに今井荘に泊まったり。ryuさんとの出会いもまた印象的だったなー。

 

年明けは3年ぶりの海外、チェンマイへ。その後は引き継ぎに引っ越しに、沖に出る準備に入る予定。

ここからは言い訳できない。やりたいことを自分で選び取ってやるんだから、本当に実力勝負。あぁ、怖いのは、お金じゃなくてそれかもな。でも一度しかない人生だから、やってみて、それでダメだったらその時考えよう。

 

2022振り返り

 

今年の終わりは尊敬する先輩の退職で色々と考えてしまう。

そんなつもりではないと分かりつつも、それでも、私は一緒に働き続けたい人にはなれなかったのだなということを思ったり。

失うとわかって初めて突きつけられる。追いかけたいと思える人、追い越すことは元より追いつくことさえできないであろう人。そんな人が側にいてくれる環境がどれだけ恵まれたことだったか。

まずは、出会えたことに、再会できたことに、きっとこれからも続いていくつながりとなったことに感謝して大切にしていきたい。付き合いが長いことや、期待してもらえたことに優越感と自信を持ってもいいだろうか。

 

それはそうと、3月でSDM修了、4月から養成講座に通ったキャリアコンサルタントの資格試験はギリギリ一発合格、本社デザインAHMに夏の採用イベント登壇。上期は佐江戸へ通い、下期は大阪へ出張。仕事周り、色々がんばった。結果が出たのは良かったなぁと。

 

旅行は、年始の糸島、京都のAce Hotel、GWは大阪、夏休みは沖縄、秋は高知仁淀川、冬は青森へ。日帰りでは箱根、横須賀美術館、まいこの結婚式、カナタの旅のライブもよかったなー。鎌倉で紅葉と海を眺めたり、多摩川でキャッチボールしたのは癒しの時間であった。

 

さてさて来年はどうするか。まずは身体を鍛えますかね。

2021振り返り

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引き続きコロナな2021年。オリンピックいつやってたの、くらいの。

プレ昇格研修に社員インタビューや採用イベント対応、部門横断プロジェクトへの参加や顧客との共創プロジェクト。心の支えだった部長の異動。それに伴い課長に昇格。

加えて英会話スクールにSDMも。疲れた。

海外旅行はもちろん行けず、国内に限られたけども、宿にこだわる贅沢旅にシフト。たまの外食ランチも質重視。服も良いものを。

今年はキャリアコンサルタントの講座を受けて合格を目標に。そうしたらその先、新たな道も見えるはず。

 

 

寄り道したら前に進んで

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思い切って退職して、その判断と行動に少なからず不安を感じながらも、一度立ち止まってもいいだろうと人生の夏休みをとったのに。

デザイナーとして復帰して2年半。あのまま働き続けていたよりも、 高いところへ来たのでは。

それにしても、スナフキンになりたいだなんて血迷ったことを大真面目に言った結果がこれとは、どうなってるんだろうか。

 

普通のことを普通にできる。責任感が強い。周りの人から親しみと信頼を得やすい。鈍感で細かいことを気にしない。

飛び抜けたセンスや、強いリーダーシップ、譲れないこだわりは、特にない。

こういうところがプレーヤーよりマネージャーなのかもしれないな。

 

2020振り返り

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ベトナム ハノイでの年明けから始まった2020年。

一週間後にはニューヨーク出張へ。一ヶ月後には在宅勤務が基本になり、4月からのSDMはオールオンライン。

在宅勤務と新しいチーム、キャパオーバーな業務、隔週でもこなすのがギリギリな宿題と毎日のグループワーク。運動不足と不安から逃れるように多摩川を走った春。

いまいち期待に応えられず悶々とする仕事に反して、意外にも褒められることの多かったSDM。秋学期にはこれはという研究テーマも見つかり、この勢いで院生として入学したいくらい。ビジネスより研究肌なんだなぁ。

色んな現場に行かせてもらえたことも、沢山学ばせてもらえたことも、仕事のやりがいを感じられたことも、大変ありがたい。けど思ったより飽和で、それでも次々と降ってくる色々を、あ、やりますーと言ってしまう謎。そして年が開けた今も、まだもうしばらくこんな感じが続きそう。

せめて今年は気兼ねなく旅行に行きたい。あとは研究内容を何かしらの形にしてみたい。本?からワークショップやイラスト?の仕事につながったりしないだろうか。妄想は自由です。

 

 

 

 

 

2019振り返り

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転職最終面接の結果を待ちつつ、大学の仕事を収束させつつ、ゆっくり行こうと思った新年は、N社との共同研究が意外と大変で。加えて先生の展示お手伝いやら家探しやらしていたら今度こそと思っていたのんびり海外旅行も叶わず春休みは終わりましたね。

 

約1年過ごして思えば、またしても流れに任せてしまった感のあるこの転職。
少なくとも、お金の心配なく、海外出張に行かせてもらえたり、学びの機会を提供してもらえたりするのはとてもありがたいけども。
期待に応えられているだろうか、本気出してやれてるだろうか。ずっとつきまとうこの後ろめたさのようなものはなんだろう。

 

プロジェクトで3回言ったチェンマイ。上海出張、マレーシア思い出旅行、年末年始はベトナムへ。
国内は大阪京都への出張5回、徳島は神山町、シャー女で熱海、ハッカソン会津、念願のイサムノグチ庭園美術館。これまた色々行ったなぁ。

 

2月からは上司の異動で実質守ってくれる人はいなくなるだけに意思と覚悟が必要。
目の前のことをやりつつも、もう少し先のことや、ささいでも楽しい計画を立てて行動に移していきたい2020年。
1年目なんてこんなものだろうとも思うし、もっとやってくれると思われていたのだろうとも思う。
周りの人を無視できない、無視したいとも思わない、だから人生は大変で、でもやっぱり応えられたらいいなと思う。

 

2018振り返り

鳥取旅行に山中湖旅行、最後は小川でラーメン食べて爆笑して、またね、といつもの別れ方。2017年度研究室メンバーはそれぞれが自立していて、距離感がちょうど良い人たちでとても楽だった。彼らが退職し、残された2人と新人4人で大学2年目。1-2年目しかいないチームでリーダーをするのはなかなかカオスだったけど、気づかされることも多く、学ぶことが多かった。

コンペの入賞や、グラフィックのお仕事、ウェルカムボードの作成などでリハビリしつつ、転職活動本格化。ポートフォリオや経歴書類の作成、面接や面会をする中で、自分のデザイナーとしての価値や、それが経歴やイメージによって実際よりもすごそうになってしまっていることに悩んだり。

結局は、なぜ辞めたのかを考え続けた大学勤務期間。転職の面接で言った、「タイミングが大きくて、一通りのお仕事をさせてもらったところで帰国という大きな変化が急に降って来て、そこで一度立ち止まりこれからの働き方・生き方を考えたくなった」というのは嘘ではないのだけど、もう半分は逃げだった。向いてないなぁと思い続けて、その中で流されていくことに限界を感じたというか。言い訳を探しているような状態にこれまた悶々としたけれど、今思えばそんなの自分の見栄でしかなかったな。
流されるのも限界だ、そう思ったタイミングで逃げ込む先があり、ここにいるのはもったいないと次また呼んでくれる人がいる。恥じることは何もない。人生の夏休みのようで、夏休みだからこそ、机に向かうだけでなく、本質的な学びが得られたという感じ。

しばらくぶりのヨーロッパは、とても楽しくて快適だったけれど、東南アジアや南アジアのような刺激を求めている自分に気づき、これまたおもしろいなーと。海外の仕事はどうですか?と聞かれ、おそらくその日一番のスピードと笑顔で、喜んで行きます!と言ったのも、そこにとても魅力を感じてのことであり。
春からは、スケールの大きな世界でデザインの仕事を、もう一度。